2014-11-10

常滑フィールド・トリップ2014での展示風景

Exhibition view / Tokoname Field Trip 2014


















October 11-19, 2014

at Tanpopo-Kôbô 

“Over the horizon”





“ 水平線の向こう側 ”  たんぽぽ工房にて 


常滑フィールド・トリップ2014に参加しました。これが帰国後最初の展示となりました。帰国して、展示はしたいけれどホワイトキューブの空間ではなく、作品が環境や景色とつながるような場所で展示がしたいなと思っていて、この展示したたんぽぽ工房という場所は理想的な場所でした。ちょうど空家の状態でしたので展示に使わせて頂くことができました。1階部分には室内だというのになぜか青々とした植物が生えてきて珍しい空間になっていて、2階からは海が眺められました。
一昨年住んでいたブラジルのバイーアという街も昨年住んでいたベナンのコトヌー市でも海のすぐ近くに住んでいて、住んでいた家からも水平線が見えました。このたんぽぽ工房からも水平線が見えて、この偶然のつながりがおもしろかったので水平線のあちらからこちらへ、こちらからあちらへという意味で “水平線の向こう側” というタイトルをつけました。

以下は、展示に関しての挨拶文です。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


今回常滑フィールド・トリップに参加・展示するにあたって、自分の展覧会のタイトルは何にしようかなーと考えました。実はここ2年ほど私は海外に滞在する機会に恵まれ、一昨年はブラジルの北東部の海辺の街、サルヴァドール・ダ・バイーア(通称:バイーア)というところに住み、昨年は西アフリカのベナンという小さな国に住んでいました。バイーアもベナンも海に面しているところで、どちらもたまたま住んでいた家からは窓から海が見えました。


このバイーアとベナンという国、実は深いつながりのあるところで、18世紀頃にベナンなどの西アフリカのあたりから大量の黒人奴隷たちが船に乗せられて、当時サトウキビで栄えていたバイーアに輸出された歴史があります。ですので、その子孫たちが住むバイーアはブラジルの中でも黒人人口がとても多く、音楽・食べ物・宗教などアフリカからの影響を受けた独特な文化があり、ブラジルの中でもエキゾチックな場所ということでブラジル国内からも観光客が多いところです。

初めてブラジルを訪れたのは2009年の暮れのことです。初めてのブラジル旅行で訪れたのもバイーアでした。なぜバイーアだったのかと言うと、この頃私は全日空ANAの機内誌に連載していた小説の挿絵を担当していて、この小説は筆者が過去に旅してきた場所を実体験とフィクションを織り交ぜて書かれており、その中でブラジルのバイーアの話も登場しました。挿絵を描くにあたって資料を探すためインターネットで検索してみるととても面白そうなところで一気に興味を持ちました。バイーアの話も面白かったし、ブラジルを旅行するならここだ!と決めました。

日本の冬は南半球のブラジルでは夏で、しかもバイーアは赤道に近いところにあるので真冬から真夏への気温変化もすごかったのですが、時差もまるっと昼夜12時間違い、ついでに人々の活きるエネルギーや生命力の迫力が強烈で、色々と真逆の世界だと思いました。

『どうせ同じ【生きる】なら、断然こっちの方が良い!』と心から思いました。狂気にエレガントな布がふわりと被ってる、それが私の初めてのバイーア体験の感想でした。

この滞在中に、後にベナン滞在につながって行く出会いがありました。バイーアには『Museu Casa do Benin(ベナン博物館)』というベナンの美術品などを展示してある博物館があり、私が行った時はベナンの宗教美術品やベナンの現代作家たちの作品を展示する大きな企画展が開かれていました。このベナンの宗教美術品は土着宗教、日本だとブードゥー教と呼ばれているもので、お面やら宗教儀式の時に身につける衣装やら銅細工やら彫刻物やら色々ありましたがどれもこれも思わずじっと見てしまう程面白いものでした。過剰な程にビーズが編み込まれている衣装、物語性の強い彫刻が載ってるようなお面、アップリケで作られた絵。なんとも言えないヌケ感があり、こんなものを生み出す国とはどんなところなのだろう、、とベナンを意識したのはこの時でした。

帰国してから、とあるギャラリーのオーナーにこの話をしながらベナンに行ってみたいと言うと、なんとそのオーナーの知り合いのドイツ人がベナンでアーティスト・イン・レジデンス(アーティストを招待して、滞在制作の場を与える制度)をしていると教えて下さり、その後そのドイツ人と連絡を取るようになりました。

時は流れて。2012年にバイーアに滞在することになり、できる限りバイアーナ(バイーアの女性)になろうと努力した1年でした。バイアーナになりたい、とつい思う程バイーアの人々は魅力的でした。よく笑い、踊り、喋り、飲み、食べ、とにかく人生の喜びを享受する才能に溢れていて、きっと人生の幸せの近道はバイーア人に近づくことに違いない!と思いポルトガル語を勉強し、サンバを踊る秘訣はカポエイラ(黒人奴隷たちが生み出したと言われるブラジル、バイーア発の武術)にあり、と言われればカポエイラを習い、毎週末に何かしらの祭りがあるようなところだったので絵を描く時間もなく、しかしカポエイラ習得には程遠く、従ってサンバ習得は全くならずでした。バイーアでは、祖先がアフリカからやって来ているのだ、我らがアフリカ!というアフリカ・オマージュの意識が強く、歌などにもヨルバ族(ベナンの東側~ナイジェリアの西側を跨いで住んでいる民族で、かつてバイーアにたくさん運ばれて来た)のヨルバ語を歌詞に散りばめてみたり、アフリカアフリカと歌の中で歌われることもよくありましたが、2013年はいよいよ、バイーアを形成したオリジナルの地、西アフリカはベナンへ行くことになりました。

バイーアの地続きで考えていたベナンでしたが、待っていた現実は全く違いました。バイーアはファンキーな場所でしたが、ベナンはファンキーというより浮ついていられないサバイバルな場所でした。メキシコやブラジルも日本とは異なるところはたくさんありましたが、ベナンではもっと相違の差が大きく、相違というよりも文字通りの別世界で、違う次元を知るという経験をした1年でした。
肝心のベナンに来るきっかけになった宗教美術品などですが、ベナンには美術館も博物館もなく、まれに展示するような施設はあっても『保存をする』という施設も意識ないためかなり荒れており、かつ、美術品クラスの品々はフランスが植民地化した際にフランスへ持って行ってしまい、バイーアで見たような魅力的なものはほとんど現地にはありませんでした。

(ベナンも赤道に近い熱帯気候の高温多湿の土地なので、保存という点から考えるとフランスが持って行ったのは幸いであったとも言えます。ベナンの様な土地では然るべき施設がない限り良好な保存は不可能ですので)

当初の来ベナン目的からは肩すかしを食らいましたが、とにかく色々と異なる世界であったため、結果としては先進国の中の日本で生きてきて自然と身に付いていた『日本』の中での価値観・考え方とは全く別の考え方を身につけることができたかも、という収穫がありました。そこに至るまでの経過が「思い出して暖かい気持ちになる」という単純なものではなかったので「良い経験だったのね」なんて言われたら複雑な気持ちになるような体験でしたが。。。具体的な話は多岐にわたるため、ここでは割愛。

とはいえ、ハードな日々の中にもキラリとすることもありました。ハードさがアフリカ特有のものであれば、キラリもまたアフリカ特有のものでした。ベナンでは、バイーアの日々との逆で、やることもないのでひたすら制作をする日々でした。制作場所は、ドイツ人ステファン氏の運営するKulturforum Sud Nordの施設の一部を借りてアトリエとして使わせてもらいました。このアトリエは都市コトヌーの町のはずれにあり、海沿いを30分ほど車で走った所にあり、周りは人家が少なくヤシの木が多く生えているところでした。アトリエと言っても壁が3方向にコの字型にあって上には茅葺きが載っているような半屋外の場所で、電気はないので制作時間は太陽がある時間だけ、水もないので井戸からバケツで自分で汲む環境でした。滞在制作しているのは私だけで他には作家はおらず、オーナーであるステファン氏もほとんどヨーロッパに行っていて、アトリエを借りつつレジデンスのお守役でした。木が多く生えているので大小様々な鳥が飛来し、隣からは鶏やヤギがやって来ました。アトリエの手前には大きな木が生えていて、そこには巨大なトカゲの住処があり、このトカゲ達が日々の唯一の友達(とはいえないか)でした。

それまでは屋外での制作というのは体験したことがなかったのですが、制作環境とインスピレーションというのはどうやら無意識のレベルで深く結びついているらしいと感じました。アトリエは海が近かったので常に波の音が聞こえ、ヤシの葉が風に揺れる音がし、ヤギや鶏が歩く音、ヤギが鳴く声、鳥の声、トカゲが駆け回る音などがして、そんな自然の中で制作していると今までには体験したことがないような伸びやかな感覚で制作をすることができました。ベナンでは水彩画を描いていましたが、だいたい水彩画を描いていると内に内に意識が向いていき描きながらどんどん苦しくなって行くのですが、この半屋外のアトリエでは全くそういう感覚にはなりませんでした。また、太陽の時間と共に生活する、というリズムは生まれて初めての体験でしたが、これは予想しなかったすばらしさがありました。太陽がなければ暗いので何もしない(できない)、明日を待つというのはとても気持ちの良い1日の在り方で、太陽の存在と、闇の時間がある「1日」というものを強く感じました。電気のあるところでは不可能な贅沢さだと思いますが。

ベナンでは、創造物に感動したり影響されたりという機会はありませんでしたが、その根本にある意識の部分でショックを受けたり、また緩やかに変化したり、そうした日常の経験が自分の表現にも影響があったと今は思います。


。。。。という2年間があって、この度常滑フィールド・トリップ2014に参加することになり、まず日本に帰ってきてから最初の展示が、海が近い、愛知県なのになぜか沖縄の離島のような雰囲気も漂う常滑であること。。。そして、海辺の町だったバイーアと海沿いにあったベナンのアトリエとのつながりと感じて、こちらからあちらへ、あちらからこちらへ、という意味を込めて水平線の向こう側というタイトルにしました。